要介護レベル3&認知症の祖母(83才)の介護生活日記。
加えて膠原病である多発性筋炎の病気を持つ祖母。月1で通院をしています。
スコットランド人の旦那と私(30才)と祖母の3人暮らし。
2014年に結婚式を無事に済ませ、まだまだ新婚なのですが・・・
わけあって旦那と二人三脚で祖母の介護をしています。

2011年11月30日

ポカラでイスラエル料理、そして新しい友達。

新たに発見してしまった、ポカラの安いレストラン。レイクサイド北、イタリアンレストラン、マンマミーアの2、3件隣のRumbini Restaurantというお店です。おそらくポカラのレイクサイドのレストランでは一番安いと思います。イスラエル料理以外にもネパール料理や和食、パンケーキまでメニューにありました。
味付けが私好みで、ものすごく安くて、そして美味しかったので、ホテルからは片道徒歩20分ですが、昨日から頑張って歩いて通っています。
こちらはシャクシューカというイスラエル料理。約80円。ピタパンにはさみながら食べます。ハモスに次いでイスラエルではメインディッシュの一つのようです。

辛めに味付けしたトマト煮に卵を落とし、更に少し煮詰めたような料理。味はイタリアンにもどことなく近く、すっかり虜になってしまいまいた。
朝ごはんも、トースト2枚にジャムかバター、卵2個(目玉焼き、スクランブル、オムレツから選べます)にハッシュドポテト、ミルクティーまでついてたった70円ほど。フレッシュフードなので手が込んでいるはずなのに、どうしてこんなに安いのかは謎です。

そして偶然にも、今ステイしているホテルで今日、イスラエル人の若者5人に遭遇しました!国のイメージから心持、自爆テロや紛争を思い浮かべてしまいます。しかも彼らは何とアーミーをちょうど終えてきたとの事!国で定められた、あれです、徴兵制ってやつですね。韓国でも男性が2年義務付けられているという、徴兵制です。日本には徴兵制はないのでいまいちイメージしにくいですが、イスラエルで女性にも徴兵制があるとのこと!イスラエル人女性は精神的にも肉体的にもとても強そうです。
イスラエル軍と自衛隊とはまた状況が違うのだろうけれど、それ以上の事はこの地ネパールに来てまで聞けませんでした。皆でトレッキングに来ているそうです。イスラエル人のお友達は人生初なので、しかも年齢も近く、何だかとっても嬉しかったです。

2011年11月27日

POKHARA PIZZA HOUSE

ポカラ・ピッザ・ハウスというレイクサイド北にあるレストランに行ってきました。ここの所ピザにハマってしまっています。ネパールにはベジタリアン向けのピザが果てしなく多いからだと思うんです。日本に居た時にはどうしてもピザのトマトソース缶に既にお肉が入っているのは当たり前だったので、食べるのを恐れていました。こちらに来て特にフレッシュなピザを食べられるのはとても嬉しく、そして新鮮です。
今回食したのはマッシュルームピザ。

種類は他にもオニオン、ベジタブル、ガーリックなどから選べ、同じサイズ(おそらく全てM〜L程の大きさでしょうか?)がホールで全て200円程。トッピングは各50円程で追加が出来るそうです。一人で行ったのですが半分まで到達したところで苦しくなり、全部は食べきれず。他のお店とチーズの味が少し違うように感じました。

またこのお店にはなぜだかお一人様が多かったのが印象的でした。女性も私だけでなく、一人黙々とただただピザをほお張る女性。テレビを見ながら、新聞を読みながら、私と同じく読書をしながらビザに食いつく女性。おそらくフランス人と思われる女性でしょうか、ワイン片手にピザをほお張りご満悦。
デリバリーもしている、スタッフの方も丁寧でとても親切なレストランでした。

2011年11月26日

行きつけのお店と、韓国人の新しいお友達

ここの所、毎朝、毎晩通い詰めているローカルなレストランがあります。
家族で経営をしていて、旦那様は日本語も話し、奥様は妊娠5ヶ月にも関わらず朝からバリバリ働いています。小学校低学年になる子供は、お店の片隅で英語の勉強をしています。彼の将来に期待です。

毎日私が食べる朝食がこちら、シンプルブレックファスト。トースト2枚にジャガイモとトマトの炒め物、卵はスクランブル、目玉焼き、オムレツから選べて、ミルクティーかブラックティー、バターとイチゴジャムまで付いて100円ほどです。

いつも思うけれどもすごくボリューム満点。日本に帰ったら真似して作ってみよう。
ここのお店は、ネパール料理の他にイタリアンもあり、ピザなんて本格的な上に200円程です。スパゲティーも食べましたが味付けもパーフェクトでかなりボリューム満点でした。
食中毒にかかって以降はずっと、このお店に入り浸りでした。なんとなく安心するんです。

それで今日は新しいホテルにお引っ越し。トイレとシャワーは共同ですが、病院に沢山お金をかけた分セーブしなくてはなので、仕方ないですね。ホテルエンジェルという所に安く滞在しています。
こちらのホテルで韓国人の新しいお友達が4人できました。彼女達は本当に面白くて、出逢ってからそのまま3時間半も話し通し。
結局お昼を一緒に食べに行く事になり、トゥクパというチベットのラーメンを60円で食べに行きました。ベジタリアンです。また新たに安いローカルなお店を見つけれて満足です。
彼女たちは日本の文化に興味深々で、私が日本に帰ったら絶対に日本の家にホームステイに来るとまで言っていました。ヨン様や東方神起などの韓流スターから、キムタクやワンピース、インドで食中毒にあった話、韓国式デートの仕方から年齢の数え方から何から、とにかく色んな話に花が咲きました。

2011年11月24日

ネパールで食中毒。

先日、新しくステイしているホテルで出逢ったアイリッシュの友達と一緒にディナーに出掛けました。昼も和食を食べたのに、夜も和食にする事に。彼女はビーフ照り焼き定食に、私は野菜の天ぷら定食を食べました。そして気分も良かったのでコップ1杯ばかりビールを頂きました。
料理も美味しく、会話も楽しく、今日は久しぶりに良い一日だったなぁーなんて思いながらレストランを出ると、急に目まいがして、更には吐き気まで。一人では立てなくなり、彼女に助けを求め、何とかホテルまで歩いて帰りました。
その後、ホテルでは嘔吐と下痢の繰り返し。それでも気分が良くならず、彼に連絡をして病院に連れて行ってもらいました。
病院に着くと、点滴をしてもらい、その後お尻に注射をされました。
その注射をされた直後に、更に気分が悪くなり、全身が震え出し、血圧も一気に低下。意識がもうろうとし始め、さらに嘔吐と下痢。それでも治まらず、どうにもこうにも、体中を動かしていないと意識が遠のいてしまうような気がして、とにかく体を動かしていました。でも、血圧は更に低下し、またブルブルと全身が震え出し、もがき苦しんだあげく、走馬灯現象が起き、過去の思い出や、死んだおじいちゃんと一緒に遊んでいる姿が目の前を次から次へと横切り、その後に意識を失いました。
気づくと朝になっていて、彼は隣で寝ています。一体何が起こったのか分かりませんでしたが、彼が言うには今までに見た事ないほど暴れてたとのこと。本当にこのまま死んでしまうんじゃないかとも思ったと言っていました。
アルコールと、歯医者でもらった薬の組み合わせが悪かったのか、それとも、お尻に打たれた注射とアルコールの組み合わせが悪かったのか、私自身に何かアレルギーがあるのか。。。
未だによく分かりませんが、ともかくも命だけは助かってよかったです。たった1泊の入院に、3万円ものお金を取られ、未だに熱もありますが。
とにかく無事で良かった。
明日は一体何が起こるのだろうか?

2011年11月22日

ネパールの日本食、桃太郎。

ネパールでは殆ど毎日カレーを食べているので、日本食がどうしても恋しくなり、ゲストハウスから歩いて15分ほどの所にある桃太郎という和食レストランにいきました。
こちらで野菜炒め定食を食べましたが、日本の和食レストランより遥かに美味しいんです!本当に驚きました。噂には聞いていましたが、ネパールでは日本食がナンバーワンらしいのです。

しかもこのお店、なんと豆腐も納豆も手作りなんです!次回はぜひそちらを頂きたいと思います。
メニューも日本語で書いてあたるあたりが素晴らしい!値段は少し高め(といっても定食で300円ほど)ですが、店員さんも日本語で応対して下さりとても親切でした。ついつい通いたくなってしまうお店です。

2011年11月21日

ネパールの歯医者。痛すぎ!!

昨日の朝から右側の奥歯が痛みだし、今朝になっても痛みは悪化する一方だったので、日本から持って来た鎮痛剤を服用しました。しかし、それでも痛みが治まらなかったので、勇気をふりしぼってネパールの歯医者に行く事に決めました。
タクシーに乗る事10分、少しだけ市街に入った辺りで降ろされ、目の前には丸で大衆食堂を思わせるかのような、小さな歯医者がありました。入り口には大きなにっこりと笑った唇の絵!
日本の歯医者と比べてはいけません。
まず、受付の女性は白衣を着ていません。パーカーにデニムにビーチサンダル。
待合室にはテレビがあり、水槽、壁中に貼られたポスターや入れ歯のショーケース。
一人男性が、待合室でくつろぎながらテレビを観ています。彼はおそらく患者なんだろうなと思いながらも、受付の女性に何とか痛みの症状を伝えると、「では中に入って下さい」とすぐに誘導されました。
中に入ると男性が1人。更に、その待合室でくつろぎながらテレビを観ていたはずの男性も中に入って来るなり、「こちらに座って。」と。

ん???彼は医師だったか!
日本のような治療台こそあったものの、清潔感は丸でなし!そして医師と思われる男性方もみな白衣ではなく、私服です。
彼らはゴム手袋さえせず、私に口を開けなさいと指示し、素手で手をつっこみました。
その後、レントゲンを撮られ、色々と説明を受けましたが、結局、日本で治療した歯の中が炎症をおこしているのかも知れないという判断に至り、
「詰めていた歯をもう一度けずり、中をキレイにしてから、もう一度かぶせましょう」という事になりました。
もちろん私の痛む歯に、神経はあります。深く削ったはずの歯なので、もちろん麻酔が必要です。痛いのは本当に苦手なので、「痛くしないで下さい」と5回くらい伝えました。
するとどこからか、バイクのヘルメットをかぶったおっちゃん登場。中に入ってくるなり、
「痛くないからね」
と。
更に私の頭の中はクエスチョンマーク。一体誰が医師なのか?!

するとそのおっちゃんはヘルメットを外すなり、さっきまで担当していた医師と思われる男性と席を代わり、いきなり道具を手に取るなり、私の口の中に手を突っ込みました。
私はしきりに
「痛いのはいやです」
と伝えると、ヘルメット医師は
「全然痛くないよ、大丈夫、僕を信じて」
と。
ヘルメット姿で現れる歯医者に「僕を信じて」と言われても。。。

そして勢いよく、ウイーーーーン!と削り出したのです。麻酔すら打っていません。
出産に比べたら、きっとこんな痛みは大した事ない!っと、出産経験もないくせにそんな事をひたすら自分に言い聞かせていました。
削るところまでは、まだ絶えきれる痛みだったのですが、問題は削り終わってから。そのヘルメット医師が細長い糸のような針を手に取り、私の歯に差し込みました。
そう、神経をグリグリほじっていて炎症となるものをほじくって取り除こうとしていたのです。
とてつもない痛みとともに、私は思わず悲鳴をあげました。体ももがく程。その瞬間、周りにいた他の医師が、私の顔や体を押さえつけます。
「痛くないっていったのに、痛いじゃないですか!」
「大丈夫、あと少しだから」
全く質問の答えになっていません。
さらにグリグリと、これでもかというくらいに私の歯の中をほじくり回します。その度に私は悲鳴をあげ、その度に顔と体を押さえつけられます。

まさに拷問でした。ヘルメット医師以外の男性は、押さえつける為の人だったのかも。
今まで経験した事のないくらい、ものすっごく痛かったです。

もうヘルメット医師のおかげで歯医者は嫌いになりました。患者の立場になった事なんてないのでしょうか?

ぐりぐりほじくられた後には、薬でしめらせたコットンで、さらにぐりぐり。しかもそのコットンは未だに私の歯の中に入っています。なので、また5日後に、そのコットンを取りに、この歯医者に行かなければなりません。

そして問題の痛みは未だに治まらず。

日本の歯医者の技術はきっと世界一です。


2011年11月19日

事件です&マチャプチャレ

今日はネパールに来て以来、初めて雪化粧の山々を見る事が出来ました!

その前に私の悲惨なエピソードを・・・。
実は今朝からカメラを持ち出し、朝食すらも食べるのを忘れて街の景色などあれこれと撮りたい気分だったので、フェワ湖に行ったり、メインストリートから離れた小道などを散策していました。それで、今日のお昼ご飯こそは、マイリ・バンチャ・ガールという地元客でにぎわうネパール料理のレストランに行こうと思っていたので、地図を見ながらまた小道に入り、目的地を目指して行きました。ところが通りすぎてしまったので、引き返そうとしたんです。その瞬間。
後ろの首の付け根あたりに異変を感じ、マフラーを取ろうとした瞬間!

チクッ!!!!!

何ーーーーー!!!!

右手の薬指と中指に鋭痛が走り、恐る恐る指を見ると、無数の細かいトゲが指に・・・!
何が起きたのか全くわけが分からず、あまりにもトゲがたくさん刺さりすぎていて、どうやって取ったらいいのかも分からず、取ろうとして触るだけで激痛が・・・取りあえずバッグとカメラとマフラーを芝生に置き、体になにか付いているんじゃないかと思いジャンプしてみたり、髪の毛をバサバサしてみたり・・・
そして辺りを見渡してみると、なんと、、、、10センチほどの長ーーい毛虫がソソクサと私から逃げようとモジモジと地面を動いているではありませんか!!!
こいつなのか!!!!!!???????
ようやく、毛虫に刺された事に気づいた私は、毛虫になんて刺された事もなかったので、どうしたらいいのかわからず、ただアタフタするのみでした。
その怪しい姿を見ていたネパール人のおばあちゃんが私に近づいてきて、ネパール語で何か話しかけてきます。取りあえず私は無数のトゲ、いや毛虫の毛が刺さった指をおばあちゃんに見せました。するとおばあちゃんがまた何か言っています。そして!!!!!
さらに事件はおきました。
私の手を握り、いきなりおばあちゃんは、私の手をおばあちゃんの髪の毛になすり付けたんです!!!

痛いーーーーーーーーーー!!!!!!

久しぶりに、本当にめちゃくちゃ痛かったです。

日本語で叫びましたが、おばあちゃんも、おそらく分かりますよね。
叫んだんですから。

おばあちゃんの頭になすり付けられた後は、トゲが皮膚の中に入り、私の指はプツプツと細かいドット柄になってしまいました。すると更におばあちゃんはポケットからショウガを取り出し、私の指にショウガをこれでもかとばかりに、なすりつけます。

何でショウガ?しかも何でポケットにショウガが入ってるの???
これもおばあちゃんの知恵袋なのでしょうか。

近くにいた人たちも、子供達も私の叫び声と同時に沢山集まって来てしまい、痛い中でも私は財布が盗まれるんじゃないかとか、カメラを持っていかれるんじゃないかとか、そんな事を心配していました。すると男の人が来て、
「No problem, no problem. No poison.」
と。毒がない事を知り、少しだけ安心した私は、近くにいた人にされるがままに、近くにあったおばあちゃんの家に荷物ごと連れて行かされ、そこで更に大きなショウガのかけらをひたすらなすりつけられました。

痛みはだいぶおさまりましたが、今でもまだチクチクとした痛みがあります。皮膚の中に入ってしまった無数のトゲは、一体どうしたらいいものか?
そして一体どこから毛虫はやってきたのでしょう。

でも、ネパール人の優しさが初めて身にしみたような気がします。
いつも、通りを歩くたび、「ニーハオ」とか、「愛してます」「ゲンキデスカー」とか、そんな言葉しか聞いた事がなかったので、優しい人ってどこにでもいるんだなって思いました。

それで、本題に入ると、アンナプルナ連峰が見れたんです!ポカラの象徴であるマチャプチャレを初めて見る事ができました。あまりにも興奮していたのでうまく撮れませんでしたが、写真左上にうっすらと見えるのがマチャプチャレです。

2011年11月17日

ヴィーガンと動物のお話

ヴィーガン(完全菜食主義者)とは、ベジタリアン(菜食主義者)より更にストリクトな、動物性由来の食品を一切摂取しない主義の人を指します。
ベジタリアンは野菜や穀物の他、たまごや乳製品を摂ります。それに対しヴィーガンは乳製品は固よりはちみつなど、動物由来の物を食べません。また毛皮や皮製品も持ちません。
ヴィーガンは、炭水化物は山ほど摂れます。タンパク質は主に大豆などの豆類で補えます。脂肪もサラダ油やオリーブオイルなどから山ほど摂れ、ビタミンやミネラルなどはフルーツや野菜から、と言ったように栄養面では摂り方次第でいくらでも健康的な生活ができます。

私も2010年11月から半年間ヴィーガンでしたが、日本でヴィーガンになる事は本当に本当に大変でした。

2011年1月〜2月のテキサスに遊びに行っていた頃は、至る所にヴィーガンやベジタリアンレストランがあったので困る事もありませんでした。テキサスではスーパーに行ってもヴィーガンやベジタリアン、ローフードなど、事細かに表示してあります。

日本では、だしに魚が通常入っていますし、加工食品などは動物性由来の物がほとんど入っています。コーンスープやトマトスープにも原材料を見るとチキンエキスやポークエキスが必ずと言っていい程入っています。カレールーには必ず豚油、牛油が入っていますから、もちろんベジタリアンやヴィーガンは一般的な加工食品などの即席カレーはもちろん、よくスーパーなどで売られているカレールーでさえ牛脂などが入っているため食べません。

ではなぜヴィーガンなのかというと、理由は人によって様々なのですが、私の本来の理由は、菜食主義者:ベジタリアンになるだけで、なるべく、無駄な環境汚染をせずに済み、病気になる人も減り、また、なるべく、無駄に動物たちも殺されずに済むからです。
つまり「なるべく」そうしたいのです。
もちろん、私は車も運転していましたし、病院に通って薬を飲んだ事もあります。皮ジャンをかっこいいと思って着ていた時もありました。ゴキブリや蚊はなるべく殺しませんが、道路を歩いてアリを踏んでしまったりする事も時々あります。
日常生活の一つ一つの行動に動物が関わってきます。
私たちが服用する薬は必ず動物実験を経て作られます。

動物が人間と共存してる限りは、人間として生きている事が、動物達にとっては迷惑な話なんじゃないか?と、時々考えたりする事もありました。←これは今でもよく悩んでいる事の一つですが。。。
なのになぜ食生活だけ菜食?植物にだって命はあるし!と思う方ももちろん少なからず居られると思いますが、「中途半端」ではなく、「なるべく」そうしたいのです。
また、世界中のあちこちに牛や豚などが居るのは人間たちのおかげだという話を以前聞いた事があります。人間たちによって動物たちも世界中で繁殖され、飼料もおいしく動物たちも住み良い暮らしが出来ると言います。

また、食生活だけでも菜食にする事で、肉食の方たちに比べ年間80頭もの牛が屠殺されずに済むそうです。
更には、私たちが食べる牛や豚たちも、成長する段階で、大量の水や小麦などを摂取します。その飼料が飢餓に苦しむ人たちに送られたら人の命も救えるかも知れません。
ガンになっている牛や、病気で薬漬けにされた牛や豚でさえも食用にされ、私たちはその病気になったお肉を食べています。
スーパーで美味しそうに陳列されているお肉からは見えない世界です。


私たちがちょっとでも牛や豚、馬や鳥、ウサギなどを食べるのをストップし、可愛がる猫や犬などのかわいいペットを見るのと同じ眼差しで彼らをかわいがるのはどうか?


地球人として、環境汚染を減らし、人間にいずれ食される牛たちが放牧するための場所を元々あった森林のままにし、私たちも健康になる、こんな生活はこの上ないものだと思います。

皮製品を買うのをちょっと我慢して、ヘンプ素材のナチュラルなものを身に纏ってみたら気持ちも良いのではないか?

って、思うからです。

2011年11月15日

フェワ湖 in ポカラ

一昨日ポカラに戻りました。ポカラはカトマンズと比べ標高が100メートル程低い900メートルに位置します。体調もすこぶる良くなったので、今日は朝からホテルのすぐ近くにあるフェワ湖に行ってみました。すると、洗濯する人、沐浴?する人、またまた色んな人に巡り会いました。
ネパールは、いつ、どこを歩いても、様々な姿を見せてくれます。フェワ湖の反対側にはグランド(というか芝生)があり、そこでは小学生たちがサッカーをしています。今日は平日なはずですから、おそらく体育の授業なのでしょうか?

小学生たちのすぐ近くでは牛が放牧され、その近くにはタイ式マッサージのお店が!笑 空を見上げればパラグライディングをする人。
ネパールでは牛を殺してはいけません。万が一殺した場合は懲役12年が科せられる程、牛はネパール人、いやヒンドゥー教徒にとって大切なのです。

2011年11月12日

スノーマン

今日はスノーマンというカフェに行ってみました。
カトマンズのダルバール広場近くのフリークストリートという所にあります。ここでもまたアパートのおっちゃん登場です。彼は本当に親切で、私が出掛ける時、偶然にアパートの門の所で会ったんです。スノーマンまでは歩いて15分かかるのですが、ついでだからと言ってバイクで乗せてって下さいました。おっちゃんはコンタクトレンズの調節に病院に行くところだったそうです。
しかも、そのスノーマンカフェのオーナーさんが、アパートのおっちゃんの親戚だったっていう!これまた偶然な話で。カトマンズの街が面白く思えます。
そう、目的はこのプリン。

食感は、お米のようなつぶつぶとしたものがプリンの中に入っていて、そして甘い!!!驚くくらい甘い。でもついつい口に運んでしまうんです。女性にとって甘味はエネルギーのバロメーターですから。w
店内の雰囲気がまた独特でした。平日の夕方5時、お店は若者で溢れていました。

2011年11月11日

優しいアパートのおっちゃん

さて、私は毎日、昨日のブログに載せたアパートの屋上階でまったりとしながら過ごすのが日課になりつつあるのです。が、そんな私を心配してか、アパートのオーナーがいつも話をかけに来てくれます。お茶を持って来てくれたり、マンガを持って来てくれたり。w
そして今日は、私の好きそうなお店があるから一緒にドライブがてら行ってみようとのことで、言われるがままにバイクに乗り、ドライブ開始。1時間ほど走ったでしょうか。中国とのボーダーラインへ行く道の途中だよとおっしゃっていたので、間違いなくカトマンズから北の方に向かって行ったのだと思います。それで、着いた所は、住所こそわかりませんが、田舎に突如現れた、まぁなんともステキなレストラン!

とっても静かな所で、中庭があり、アヒルが群がっているんです。そこにベンチやテーブルがあって、池まであるんです。おっちゃんは、「好きなだけくつろいで、帰りたい時になったら帰ろう。」と言って私を一人にして下さりました。

一人のんびり、くつろぎまくった後、定番のmomoを食べ、チャイを飲みながらまた更にまったりとくつろぐ。もう私は年寄りなのか?と自問自答しました。年寄りでもいいや!こんなに幸せなことってないですもの。と思ったほどです。日本での社会復帰はしばらく無理です。
晴れ晴れとした午後の陽気と、何とも言えぬこの自然が映し出す広大な景色に、すっかり虜になってしまった一日でした。

帰りにとった写真。
カトマンズ盆地。そしてそれをシヴァ神が見下ろしていました。


おっちゃん本当にありがとう!



2011年11月10日

現在滞在中の物件

タメルに戻り、紹介して頂いて住み始めたアパートがあるのですが、その安さにものすごいビックリしてしまって。まずはこの広々としたお部屋!

こんなに広くて、しかも屋上階にあるので、ドアをあけたら外なんです。ここならタメルのガヤガヤした中でも、ストレスを感じずに過ごせそうです。

そしてここのアパート、1泊なんと150円!昼間は日光浴をしながら外で読書やヨガをしながら、本当に言う事ないくらいくつろげちゃうんです。もうずっと住んでいたいって思います。ですがこちらはもう既に次に入居される方がお決まりのようで。


2011年11月8日

帰り道そしてボダナート

ナガルコットには1週間〜2週間程滞在する予定でしたが、うっかりカメラの充電器をタメルに置きっぱなしにしてしまった為、とんぼ返りです。旅にはやはりカメラが必要なんだと、どうしてもカメラを優先せずには居られませんでした。そして風邪気味というのもあり、ちょっと暖まってから出直そうとも思いました。
そんなこんなで、ナガルコットで出逢ったガクさんと一緒に帰りつつ、サクーと呼ばれる小さな村を通り、まずはボダナートで一旦降り観光をしました。こちらは世界でも最大級の規模を誇るストゥーパと呼ばれる仏塔です。


そしてこの周りにはやたらゴンパ(僧院)があります。ストゥーパは常にお香の匂いが漂い、少年僧たちもたくさんいます。エネルギーが集まる場所の一つですね。
このポーズ、個人的にとても好きです。何を表現したいのかは、私とガクさんだけが知っています。w

ボダナートでタクシーを広い、値段交渉しつつタメルへ戻りました。お昼はタカリ・バンチャへ。私がmomoを食べたのは、言うまでもありません。ここの所ずっとmomo。気がつくとmomo。美味しくてヘルシー、そして安いからなのです。



2011年11月7日

ナガルコット

昨日バクタプルでりょうこちゃんに別れを告げ、一人ナガルコットへバスで向かいました。1時間くらい経ったでしょうか。辺りはモミの木やスギで囲まれた自然豊かな山々がバスの中からも一望できます。標高が高くなってきたせいか、ものすごく寒い!!!しかし、キノコは間違いなく見つかる!と思いつつも、雨も降ってきてしまいもう夕方5時を回っていたので、目的地UNKAI RESORTへと足早に向かいました。途中「憲武珈琲店」という面白い看板が目に入り、そのレストランの2階から誰か覗いている!と、少しだけ自分の姿に羞恥心を覚え、目的地まで急ぎました。雨も激しくなりぬかるんだ地面を歩く事30分、UNKAI RESORTに無事たどり着きました。ここは文字通り、雲海が間違いなく一望できます。もう達成感と安堵感でクタクタになりつつも、「そうだ、今日は生まれて初めてのドミトリー部屋に泊まるんだ」わくわく、どきどきしながら部屋でくつろいでいると・・・
一人、男性が入ってきました。彼は日本人なのか?と思いつつも、次にまた男性が。と思ったら、彼ではないか!!真面目にびっくりしました。その彼はというと、私がポカラにいた頃ホテルのロビーで会って、タクシーをシェアしカトマンズ行きのバスターミナルまで行った彼なんです。カトマンズでも偶然にも宿が隣だったりもして。まさかナガルコットのこんな山奥で会うとは誰も思っていません。大くんという方です。学生とは思えない程の落ち着き様。私も見習わなければとつくづく思いました。そして、始めに部屋に入ってきた方はガクさんという方です。彼の「皆に比べたら、僕はほんのまばたきするくらいの旅行だよ」という言葉がとっても印象的でした。そして彼のフルネームもかなり印象的です!ガクさんは休みを利用してネパールに来られたそうですが、私の憧れのアフリカ大陸に既に足を踏み入れているという、しかもそこで○○人に間違われたという、面白い経験の持ち主です。そしてあの「憲武珈琲店」の2階から私を見ていたのは他の誰でもなく、ガクさんだったのです。www色んな所に偶然ってあるんですね。驚きました。
部屋で少し話した後、すでに閉まってしまったレストランを無理を言って開けてもらいつつも、そこで3人でまた晩酌をしながら色んな話をしました。
そして次の日の朝。ヒマラヤは見れるのか???うーん、でもあの景色には大満足でした。UNKAI RESORTありがとう、そしてガクさん、大くんありがとう。



2011年11月5日

バクタプル

今日はステキな出逢いがありました。りょうこちゃんという、関西出身、北海道在住の方と出逢いました。タメル地区にあるパンパニケル・ベーカリーという老舗パン屋さんに朝食をとりに行き、中庭でくつろいでいると、りょうこちゃんが現れました。すっごく話しやすい、表情豊かな方だなって思いました。そしてかなり波長が合うんです!朝食を食べに来たはずなのに、結局盛り上がりまくりでお昼過ぎまで話し込んでしまいました。

次の日には二人でバクタプルという街へ。
ゲートを何とかしてでもくぐらまい!と思い、二人して同じ歩き方の本の同じ地図が載っているページを見ながら、ここからなら大丈夫!行けるんじゃない?と自分たちに言い聞かせながら、街の外れの方からこっそりダルバール広場を目指しました。そう、ゲートをくぐるのには、日本円にして1100円ものお金がかかるんです。本当はこんなケチな話をするのは嫌なんです。でもネパールを旅するバックパッカーたちにとって、1100円がどれほどの大金か!日本では1回カフェにランチに行って終わりですが、ネパールでは5日は生活できてしまうほどの大金なんです。で、ゲートを避けながら何とか入れたー!と思いきや、警備員たちもそうそう甘くはありません。「Go to the gate!」と、あっけなく引き返されました。「ちがうのよ、ナガルコットに行きたいだけなのよ」と言い訳がましく説明したものの、たぶん私たちの行動は何がしたいのかバレバレでした。
それでも私たちはめげません。一度ゲートを出て、また更に遠くからダルバール広場を目指します。今度はかなり入り組んだ道に入ってしまい、30分以上はくねくねとした小道を通ったでしょうか。おかげでローカルな人たちのステキな笑顔と出逢えたり、小学校も2つくらいみつけました。

バクタプルは一つの集落のようになっていて、とても和やか。タメルのあのガヤガヤした雰囲気からはだいぶかけ離れています。
何とかトゥマディー広場にたどり着き、お腹も空いていたので二人でmomoというネパール料理を食べました。momoは日本でいう餃子のようなもの。もちろんこれもベジです。
是非みなさんにも食べて頂きたい!本当にこのmomoは美味しかったです。昼食後には無事にダルバール広場にたどり着き、記念に写真を撮ってもらいましたが、二人がメインで建物が・・・www
ともかくも、りょうこちゃんと出逢えたおかげでとっても楽しい一日が過ごせました!ありがとう。