要介護レベル3&認知症の祖母(83才)の介護生活日記。
加えて膠原病である多発性筋炎の病気を持つ祖母。月1で通院をしています。
スコットランド人の旦那と私(30才)と祖母の3人暮らし。
2014年に結婚式を無事に済ませ、まだまだ新婚なのですが・・・
わけあって旦那と二人三脚で祖母の介護をしています。

2012年2月25日

世界遺産マチュピチュで悲劇のアナフィラキシーショック

話は南米の旅に戻りましたが、南米を旅行中、訪れるべき場所の一つでもある、マチュピチュ遺跡へ行ってきました。

感想をあれこれと述べたいのですが・・・
ジブリ映画の、「天空の城ラピュタ」の曲を聞きながら登りたかったです。
皆さんがマチュピチュに行かれる際の参考になればと思います。

あとはマチュピチュについて、というよりは、マチュピチュで起こってしまった悲劇を書きます。
前日、新しくできた友人と、ひさしぶりにベジ解禁という事で、「セビチェ」という、南米で主に海の近くでおいしく食べれる魚のカルパッチョを食べにいきました。

セビチェはタイのような食感のする白身魚にレモン入りの特製スープをたっぷりかけて食べます。ホテルのスタッフにお勧めのレストランを聞き、行ってみたわけですが、もうこのセビチェが美味しくて美味しくて、とまらないんです。量もかなりありました。久しぶりの生魚という事もあり、「美味しいー」「やばいこれー」が二人して止まりません。
それですでにセビチェで二人ともお腹いっぱいになってしまいました。
その後は、始めにオーダーしていた魚介類のチャーハンを食べました。こちらもてんこ盛りで。

この魚介チャーハン、かなりてんこ盛りすぎて私たちは食べれず・・・
「次の日のマチュピチュの登山前にでも朝食に食べよう!」という事でパックにつめてもらいお持ち帰り。
さて、次の日の朝、この魚介チャーハンをマチュピチュ登山直前に食べたんです。中には「ラパス貝」というこちら南米では有名な、日本ではアワビの代用品として食べられている貝が入っていました。見た感じ、ツノのようなものと楕円形の口のようなものがついていて少しだけ「怖いなぁ」と思ったのも正直な気持ち。
しかし食べてみたところ、アワビのような食感で本当に美味しい。止まらず、このラパス貝を丸ごと2つ、3つ食べました。
いよいよマチュピチュ登山開始!
30分ほどして、少しだけ急な坂にはぁはぁしながら、また、カンカン照りの太陽が眩しくてサングラスをかける。
すると、いきなり目がかゆみを訴えてきました。かゆいなぁと思って目をこすると、そのかゆみは更に増し、痛みを伴うようになりました。と思ったら今度は腫れぼったい感じ。
目に異常が走り出すと、今度は全身にかゆみが走り出しました。じんましんのようなぶつぶつが、みるみるうちに私の腕に現れます。
そしてまた目がかゆい。そして涙が自然と出て来て、上まぶたも、下まぶたも両方とも腫れはじめ、目を開ける事ですらままならない。
「怖い、怖い、どうしよう!」
すると次は鼻が詰まって来ました。とたんに鼻水が出だし、また鼻が詰まり、もう鼻では呼吸ができない状態です。
今度は喉と肺に異変が。喉の奥が腫れてきている感覚があります。動悸がし、心臓がドキドキ。と思ったら、呼吸困難に。
「息ができない!どうしよう!怖い!」
本当に恐怖すぎて言葉になりません。焦るばかりでどうしようもない。
とにかく顔が、小岩さんのようでひどくてどうしようもないんです。誰にも見せられるような顔ではありません。それどころか、今度はろれつが回らなくなり、頭がボーっとし始め、目がチカチカ。自分が何かを話そうとしても、まったく伝えられなくなるまでに。

しばらくそんなこんなを繰り返し、恐怖の中急いでマチュピチュから下り、マチュピチュの駅員に状況を説明するも、駅員たちはそんな状況を理解してはくれません。しかもスペイン語がうまく通じず、さらにろれつが回らないのでどうしようもない。
「私このまま死んじゃうかも・・・」
そんな事ばかり頭の中をぐるぐる。またネパールの病院で見た、走馬灯が出て来そうです。
仕方なく、もう私の人生ここで終わりなのか、と思いながらも、でも、もうマチュピチュも見れたしいいや、半ば諦め、駅員も救急車を呼ぶ訳でもなく、私は必死に痛みをこらえてマチュピチュ駅の待機所で7時間待ちました。
その時が一番怖かったです。これがいわゆる「アナフィラキシー・ショック」です。
私の目の腫れぼったい小岩さんのような顔写真はみせられませんので、以下を参考に。こんな顔になりました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anaphylaxis
で、その後どうなったのかと言うと・・・
私たちの列車のチケットはもう予約済み。夕方発の電車です。アナフィラキシーショックにかかり始めたのは午前11時。こんなにも辛いと感じた日は人生で初めてかも。

で、結局7時間待った頃には、目の痛みは引いていて、まだ腫れているも、言葉も話せるようになり、じんましんも消え、動悸もおさまりました。鼻水鼻詰まりがある程度まで回復していました。
そででホテルにたどり着いた頃には時刻はすでに夜11時。
もう病院に行くのは暗いしお金もいくら取られるかわからないし、その日は諦め、次の日の朝薬局に行く事にしました。
次の朝、ホテル近くの、スペイン語ではなく英語が話せるスタッフに状況を説明しました。すると抗アレルギー剤を処方され、これで治るから大丈夫、と簡潔に述べられ、私のアナフィラキシーショックの事件は終わりました。

楽しみにしていたせっかくのマチュピチュ、台無しでした。写真も、痛い痛いと叫びながらも、何枚かバチバチと撮りましたが、もっと良い写真が撮れたはず。
悔しかったーーーーー。

マチュピチュは人生の内でもう一度リベンジですね。






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