要介護レベル3&認知症の祖母(83才)の介護生活日記。
加えて膠原病である多発性筋炎の病気を持つ祖母。月1で通院をしています。
スコットランド人の旦那と私(30才)と祖母の3人暮らし。
2014年に結婚式を無事に済ませ、まだまだ新婚なのですが・・・
わけあって旦那と二人三脚で祖母の介護をしています。

2013年11月24日

おばあちゃん明日からショートステイです。

おばあちゃんには、明日からいよいよショートステイをして頂きます!
待ちに待った(待ちに待ったのは私たち!笑)ショートステイです

というのも・・・

今、家では2階のリフォームが始まり1週間が経過しました。
私たちが夫婦仲良く暮らせるようにとプチ2世帯風に、素敵な部屋作りを目指して・・・

しかし、おばあちゃんは未だに旦那の事をただの友達だと思っています。しかも私がまだ独身だと思っています。
何度も結婚した事を伝えているのですが、すぐに忘れてしまうので、結婚した話をして1時間もすると、また私は独身に戻ります。

ですので、今回の2階のリフォームの事をおばあちゃんには何度も話をしているのですが、言った事を忘れてしまうおばあちゃんは、何度でも聞き、その度に何度も驚く!!(それも、ものすごく嫌味ったらしな驚き方なんです・・・汗

「あらぁ〜〜〜、あらららららぁ〜〜〜ーーー!そういう大切な事は、もっとちゃんと前から話したらかっぺや!!」
てな調子です。

もういちいち腹を立てていては仕方ありません。

最近では、【次はどんなリアクションするかな?】とか楽しみにしているくらいになりました。
という事もあって、大工さんも困らせては仕方ないという事で、私たちもおばあちゃんが逆に気が狂っては大変だと判断し、明日からショートステイをさせる事になりました。



おばあちゃんにとっては、見知らぬ人が勝手に家の中を出入りするとしか考えられないようで、どうしても嫌みたいです。

なのでおばあちゃんは大工さんとばったり1階で遭遇すると、大工さんを追いかけます。
追いかけても結局大工さんも2階へ上がってしまうので、おばあちゃんは1階から
「ちょっとー、ちょっとーーー!」
と叫びます。
そこで旦那が止めに入り、
「リフォーム スル!」
と一生懸命日本語で説明します。
するとおばあちゃんは旦那に向かって、
「おめえの友達か?上にいんのは?ばあちゃんは嫌なんだ、人の家へ、かーってに入ってきて!!」
と怒って言います。

大工さんもトントンとかなり大きな音を出して仕事をしてくれていますが、おばあちゃんはかなりの難聴なので、大工さんが作業する音ですら殆ど聞こえないのです。

そう考えると見知らぬ人が2階にいる、しかもリフォームの事は忘れちゃうから知らない、そうなると本当に不気味ですね。


しかもおばあちゃん、大工さんの事を旦那さんのお友達だと言う始末。

むやみやたらと友達(大工さん)が家に遊びにきて、一日中家にいる、しかも夜も寝泊まりしている・・・と言い放っています。
(いやいや、さすがに大工さんを家に泊まらせるまでは私もできませんよ・・)

そして挙げ句の果てには、大工さんに向かって、
『他の大工だったら、すぐに終わらせてくれんのになぁ。めぐみもバカだよなぁ、無駄な金使って、いきもなく、あのバカが。』
なんて事を言っています。
って言う事は、友達じゃなくて大工さんって知ってるじゃないか!!!!

流石にここまで言われると私もカチンときますが、まぁいつもの事なので、我慢しなくてはなりません。

そんな事を言われる中、昨日の真夜中の出来事です。

私は昨日は夜8時頃から偏頭痛がしてきたので頭痛薬を飲み9時前には寝てしまいました。
旦那はパソコンを使っていて夜中1時半ごろまで起きていました。すると、おばあちゃんのかけ声「よーっこいしょ、どーーれよっ。ん、ん、ん、ん、」(ちなみに、『ん』は普段歩く時に出す声)と同時に、おばあちゃんは寝室から私たちの寝室へ向かってくるではありませんか!
旦那が「マズいかも」と思った瞬間、私をたたき起こします。
私は心臓が破裂するかと思う程、勢い良く旦那様に叩き起こされると、おばあちゃんが私たちの寝室のドアを開けて顔を出しています。
「誰でぇ、このおじさんは?」
(毎回も聞くけど、本当に失礼!)
「めぐみは寝てんのか?」
「今は、夜なのか?何時で??」
(そんな事自分で確かめろーーーーー!!)
夜中の1時半ですよ。ありえないーーー。
でもこれが毎晩なんです

しかも今朝はもっと強烈。
おばあちゃんは朝起きて来るなり一番最初に来る部屋が私たちの寝室。私と旦那が寝ていると知ったらもう最後、お邪魔虫です!
これが最近の日課。

「ドンドンドンドンドンドン!!」
ドンドンドンドンドンドンドンドン!!!

一生懸命おばあちゃんはドアをたたきます。

鍵がかかっていると理解し、さらにドアを叩いてこじ開けようとします。
しかし開かないと分かったら、今度は玄関を出て、外に回り、窓から部屋に向かって
「ドンドンドンドン!!!」
「ドンドンドンドンドンドンドンドン!!!」

「カラカラカラカラカラカラカラ」

鍵がかかっていたはずの窓が遂に開いてしまいました。

おばあちゃんがひょっこり外から顔を出します。
しかも今朝は何故か私たちの寝顔を見るなりニコニコしていました。

おばあちゃん、よくやるよなぁ。朝早いのに外になんか出て、寒くないのかなぁ。
私たちが考える事なんてこれくらいです。

もう、これにはとどめを打たれた気分です。

ですがもう、明日からはしばらくおばあちゃんとも会えなくなります。
おばあちゃん、大丈夫かな?
一人でお着替えできるかな??
ケンカもできなくなるんだね。
旦那の顔も私の顔も、しばらく会わないうちに忘れちゃうかな?

ちょっとだけ遠距離恋愛をしている気分。笑


2013年11月20日

間質性肺炎との闘病生活

おばあちゃんは7、8年前程前から間質性肺炎という病気と闘っています。
肺が固まっていき、呼吸が段々と苦しくなっていく病気で、様々な合併症をも引き起こす怖い病気です。

そんな病を持つ一方、彼女は巷では結構有名なアクティブなおばあちゃんで、何よりも口が達者、そしてどんなに調子が悪くてもカーテンの開け閉めだけは毎日欠かさずしています。ボケはかなりありますが、2012年3月下旬には足にボルトまで入れてスムーズに歩けるようにもなりました。

ですがここ最近、おばあちゃんの体調があまり良くありません。
咳が止まらず、とても苦しそうです。
インターネットでこの病気について色々検索してみましたが、やはりあまり容態は良くなさそう。。

ちょっと前まではおばあちゃん、2階まで上がれるくらい元気があったのに・・・。

今では呼吸をする度に、「は、は、は・・・」と声を出しています。息をしているのに、空気を肺にうまく入れられていないような様子が伝わり、本当に苦しそう。

先週、1ヶ月に1度の検診へ連れていった時には、先生が
「肺の中の菌の値がなかな下がらない。」
と言っていました。
「呼吸も少しずつ、段々と辛くなってくると思います。」
としぶしぶ説明していました。

「入院するにしても、彼女ぐらいの年齢だと入院がボケを進行させてしまわせる傾向にあるから、なるべく家にいて自分で出来る事はさせた方が良い、と同時に無理に身体を動かさせない方が良い」
とも先生はおっしゃっていました。

むやみやたらと入院させるのも良くないのかー。
どうしたらいいのかな。

うーーーん、難しい状況です。

最近はめっきりお風呂にも入ろうとせず、トイレに行く事でさえ面倒そうです。

「こわいよー、こわいよー」
最近のおばあちゃんの口癖。
「こわい」とは、「疲れる」とか「辛い」とかにあたります。
食事も、最近はうなりながら食べています。

なので、少しでもおばあちゃんの肺への負担が軽減するようにと、トイレに行くのを見計らって、下着、ももひき、パジャマをさっと用意して、トイレで下着を下ろしたタイミングで新しい下着に着替えさせます。

おばあちゃんがソファーから立つタイミングで、腕を支えて少しでも肺に負担がかからないようにサポート。寝る時にもベッドまで手を取り、布団をかけ暖かくして電気を消してあげます。

このくらいしておきたい。このぐらいしないと、何だか後で後悔しそうだから。

ふと、父が頭をよぎりました。
父が亡くなる1ヶ月前は、ほぼ父に付きっきり。
少しずつ弱く、細く小さくなっていく父を目の前に、色んな話をしました。
退院したらまず旅行に行こう。最初は国内、もっと良くなったらイタリアにでも行こうか。
主人はいつもケータイで父親に外国の写真や車の写真を見せ、元気付けてくれました。

話はおばあちゃんに戻りますが、昨日から何故だか、おばあちゃんは主人に対してとっても優しく話しかけているのです。
まるで別人です!
いつもは主人に対して結構ひどく当たるのですが・・・
今日も、とても優しくて。。。不思議でたまりません。
新しく薬を飲み始めたからでしょうか?
薬の副作用?

いつもは文句ばかり言われ憎らしいとまで思ってしまうおばあちゃんも、昨日と今日はとてもチャーミングでかわいらしく見えてしまう程。
私も感情に惑わされてしまう性格なので、そのへんは結構極端でもあるのですが。

そして昨日からおばあちゃんは
「刺身が食べたいなぁ、刺身なんて久しぶりに食べたらうまかっぺなぁ。ばぁちゃんが刺身食べてぇなんて思うんだから、きっと明日にでもポックリ逝っちまうわぁこりゃ」
なんて事を言っています。

刺身をとても食べたがっていたので、今日は刺身と寿司のパックを買ってきて、主人と3人で食べました。

少しでもおばあちゃんが元気になりますように。


2013年11月7日

5年ぶりの石垣島:5年前の回顧と今回の感想。


10月末から7日間、きのこの調査で石垣島へ行って参りました!前回石垣島へ行ったのは遥か5年にさかのぼります。高校の同級生だった大親友のなみちゃんと、石垣の山をふたつほど、ママチャリで越えたあの日が懐かしい。あの日はカンカン照り、蒸し暑く日焼け止めも効かず肌は一瞬で小麦色。山では突然牛に会って大興奮し、自転車のタイヤはパンクするし消防署で直してもらう始末。それでも山を越え、スコールに降られながらもチャリをこぐ。
元気が有り余ってたんだなぁ。
でも突然目の前に現れた貸し切りビーチに疲れは吹っ飛び、やどかりと共に浜辺に寝そべる。
夜はたらふく沖縄料理を堪能したのち、無駄にできない旅だからと、綺麗な夜空を見に、夜な夜なママチャリを再びこぐふたり。真っ暗闇の中チャリをこいでいると、虫がどこからともなく飛んで来て顔面直撃。そして母親が突然テレビ電話をしてくるこのタイミング。そんな私もテレビ電話に応答するが結局暗くて母もひたすら何も見えないよー!と言って電話を切った。

次の日は海辺でまた寝そべり、当時流行りの音楽を聴きながら自分たちだけの空間に浸る。将来の目標や好きな人の話、茨城に帰ったら何をしたい、などなど。すると筋トレをする海坊主のようなおじいちゃんを浜辺で発見。すごくゴッツイ。そしてたくましい。あのとき覚えているのはそれくらい。

全てが満たされていたなぁ、あの頃。
どんなに他愛も無い事でも楽しめた。
今こうして振り返るだけでも心が癒されます。

さて、今回の石垣島は前回とは裏腹、コバルトブルーの海を背に、山にこもり、きのこ採り。雨にも負けず、風にも負けず、マダニには5カ所も刺されたけれどハブには噛まれず生きて帰ってこれました。
お仕事だったので”癒されにゆく旅”では無かったけれど、新しい事もたくさん学べて、きのこ好きの素敵な人たちとの出逢いや、現地の人の貴重なお話まで、とても貴重な経験ができました。

石垣島へ入り、一番はじめに見付けたきのこはチチアワタケ。こんな所にも生えるんだぁと関心、関東にも生えるスダジイという木がこの石垣島にもあるからなのだそう。スダジイの木の周辺にはチチアワタケの他にもなじみ深いベニタケの仲間も生えていていた。
こちらはベニタケの仲間。

また、ヒカゲヘゴという名前の日本では最大のシダ植物があり、奄美大島以南、台湾やフィリピンなどにも生えるのだそう。幹の模様が丸く独特なので一目見たらすぐに分かる。
山の中で多くの事を学び、南の島ならではの光るきのこも見つけ、きのこに増々興味を持ちました!!

次にまた石垣島に行く機会があれば、きのこ探しにも出掛けたいし、マリンスポーツも楽しみたい。
でもやっぱり沖縄料理を堪能したい!!!!!