要介護レベル3&認知症の祖母(83才)の介護生活日記。
加えて膠原病である多発性筋炎の病気を持つ祖母。月1で通院をしています。
スコットランド人の旦那と私(30才)と祖母の3人暮らし。
2014年に結婚式を無事に済ませ、まだまだ新婚なのですが・・・
わけあって旦那と二人三脚で祖母の介護をしています。

2015年4月12日

子宮頸癌のこと:2013年3月〜現在2015年3月の経過報告。

久しぶりに子宮頸癌について書きます。

2013年3月の「子宮頸癌検診」でⅢa、いわゆる「軽度〜中度異形成」と診断されてから3年が経ちました。
さっそくなのですが

実は、
治りました!
治ったんですーーー!!!!

嬉しくてたまらないーーーー♡♡

あきらめなくて本当に良かった、自分を信じてきて良かった、と思う程に嬉しいです。
(ちょっと大袈裟かも知れませんが今は本当にこんな気持ちです!涙)


「子宮頸癌レベルⅢa」 →「 治った」に至るまでには・・・
自分なりにかなりの努力はしてきたつもりです。

そのあたりの内容を今日はつらつらと書いていきます。

まずは通院生活から。

この3年間、定期的に3ヶ月に1度、担当のお医者さんに診てもらい続けました。
医療費も3年分と考えると、なかなかバカにならない金額です。

診察でしてきた事は、「細胞診」という、綿棒のようなもので子宮頸部の粘膜をこすり取ってもらい、その結果を大体1〜2週間後に聞きに行く、という感じです。
でも一番始めには、「組織診」という、ちょっと痛い検査を行いました。
私は相当痛かったですが、友達で組織診をした事がある子は「痛くはなかった」と言ってましたので、人それぞれなのでしょうか。お医者さんも組織(つまり肉片)をとる時には「ごめんね〜、ちょっと我慢ね」と言うので、おそらく今まで組織診をした半分以上の患者さんが痛かったのでは?と推測します。

まぁ、私はこの「組織診」は1度だけで、あとは痛いのが本当に嫌だったので、先生とも相談し、それ以降の定期検診では必ず「細胞診」のみにしてもらっていました。

それと同時に子作りも考えていたため、卵胞があるか診てもらったり、排卵をしっかりしているのかも診てもらっていたので、子作りのアドバイスも一緒にしてもらいながらの検診でした。男性の先生ですが親身で前向きなとっても良い先生です。

日本人の子宮頸癌検診を受診する人は大体23%くらいだそうで、アメリカは80%以上の女性が受診するらしいので、日本人は遥かに少ないんだなと思います。

それで今回はちょうどあの頃から3年が経つぞ!という((とても不安な!!))気持ちでいよいよ検診にいきました。いつも検査してもらう時はナーバスになりドキドキしてしまう、あの感覚は今でも嫌です。それが先生にもいつも伝わってしまっていたのか、先生は「はーい、リラックスリラックス、だいぶ緊張してるよ〜。痛い事しないから大丈夫だから、何も考えないでね」と言ってくれました。その言葉で私はいつも緊張や不安が取れました。

「軽度〜中度異形成」いわゆる「細胞診クラスⅢa」のレベルは、段階を踏んで将来的には子宮頸癌に至ってしまうことも1〜20パーセント程の確率であり、そうなると子供が産めなくなってしまう可能性もあったり、というレベル。あるいは逆に異形成の細胞が無くなっていくという事もあるのだそう。

そんな結果のまま3年を迎え、
「今回もまた「Ⅲa」のままだろうなぁ。
ゆくゆくは高度異形成に進んでっちゃうのかなぁ」
という何とも複雑な気持ちでした。

しかし!!!!

いつものように細胞診。その2週間後に検査結果。
すると、
「細胞診クラスⅡ」で
「異形成細胞は認められません」
という結果に!!!!!!
なんと可逆してくれていたのです!!!!

この結果の紙を渡された時に
思わず先生の前で
「えっ!!!!!????うそ!!!
絶対治らないと思ってたのにぃーーーー」
と、つい本音が!!
自然と声が張り上がってました。笑

もう嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

続いて生活面でしてきた事は、

・適度に運動をしました。(軽いウォーキングや長距離ロードバイクなど)
 今でもウォーキングを一日1時間以上しています。
・ベジタリアンをやめ、魚、肉、野菜中心の生活を始めました。
(「たんぱく質の摂取が新しい細胞や皮膚を作ってくれる」と、小学校の頃に習ったのを思い出したので。細胞の再生にと、たくさん摂ろうと試みたので、脂の少ない牛の赤身と鶏ささみを主に食べました。あとは魚肉(マグロなど)も毎日のように食べました。)
・免疫強化のため、にんじんを丸ごと2本しぼり、りんご1個をジューサーにかけ毎朝コップ一杯飲みました。にんじんには免疫強化作用があるそうなので。
・体温を36.5℃以下に絶対にしないように心がけていました。
(これは癌に関する本を読んでいた時に、「癌細胞が最も居心地が良いのは34℃〜35℃」という情報を得て、癌をよりつかなくさせるようにと、毎日測りました。父が肝臓がん末期で亡くなる前も、常に身体が寒い寒い、と訴えていました。亡くなる1ヶ月前からは本当に手足が冷たく夏なのに毛布が欠かせませんでした。)
・体を暖かく保つため、くつ下2枚、腹巻き、厚着など、冬場は特に工夫して着こなし、春になっても気をつけていました。
・体を常に暖かくポカポカに保つため、しょうが湯やしょうが紅茶などを飲み続けました。

特に食生活の改善に、3年間をにあてました。
「食生活改善」とか「体質改善」とか一言にまとめるのはとても難しいのですが、私の場合、ベジタリアンをしていた頃には自然に体が痩せ、その生活は3年以上続けていましたし、体も軽くなって朝目覚めもとても良く、良い事ばかりで自分はベジタリアンで健康だと思っていましたが、そんな矢先に子宮頸癌の疑いがある、との結果が出たのを覚えています。なので必ずしも菜食主義が健康かと言われたら、それは分かりません。もちろん健康を意識する人は多いと思います。
それからベジタリアンである事で、癌の発生するリスクが3分の1になる、とか昔本で読んだ事もあります。でも、その本にはなぜか「子宮頸癌のみは免れない」とも書いてあったのを覚えています。
色々考えた結果、ベジタリアンをやめてからは、とにかくタンパク質中心の生活を心がけました。

そのおかげもあり、体重はベジ時代と比べると+8kgになりましたが、この体でいる事が健康面では今はちょうどいいような気がしています。旦那がインフルエンザになっても隣で寝ていた私はかからなかった事が今年の1月にありました。ワクチン接種もしていないのに不思議ですが、きっと免疫がついてきているのかも知れません。
体に良い事を毎日してあげることで、それはかならず後で自分に良い結果となって返ってくると思います。私の場合は3年かかって元に戻りましたが、人によって数ヶ月で免疫がついて病気も治るかも知れません。




2015年4月10日

心が折れた瞬間、というかリミット

実は昨日までおばあちゃんを、近所の介護老人ホームに6日間ほど預けていました。
週末に友達の結婚式にお呼ばれしていて仙台に泊まりで行っていたため、おばあちゃんを一晩一人にするのはさすがに危険なので、週末中預けてもらうついでに、週末以降もそのまま泊まっていてもらっちゃいました。ケアマネさんからの「めぐちゃんもたまには休まないと〜。」の優しい一言にそのまま甘えてしまいました。
私や旦那の日頃の介護疲れ解放のためには、この6日間はとても大切なひととき。

毎日の介護はというと、
おもに下の世話
一日3度では到底済まされない食事
リビングからベッドまで移動する際の介助
コーヒー好きなのでコーヒーの準備(砂糖たっぷり)
おばあちゃんの好きそうなおやつの準備
食べ物のカスが床に落ちまくるのでその掃除
トイレの掃除
トイレの後始末
オムツ交換
便の処理
爪切り
皮膚の皮がぼろぼろ剥がれ床に落ちるのでその掃除
薬を一日3度服用させる
酸素チューブの取りつけ
背中に湿布貼り
何回も繰り返す同じ質問に対して分刻みでの回答
毎日は入ってくれないですがお風呂の介助
体を全身洗う
頭を洗う
お風呂から出す介助
体をタオルで拭く、
オムツを履かせる
すぐ汚してしまうパジャマの着替え
ちょっとでも気に入らない事があると
怒りだすのでご機嫌うかがい・・・
など!!!

まぁ、人間の最低限の生活全般です。
ただ、食事の回数が本当に多い。。。

そしてオムツにする尿の量も、一年前と比べるとだいぶ増えてきています。
オムツの中に尿取りパットもしているのですが、どうやらおばあちゃんは尿取りパットが嫌いなようで、よく脱衣所の椅子の上にホヤホヤの尿取りパットが置いてあります。時々茶色い○○○も乗っかってます。(食事中の方ゴメンナサイ!)
おむつも何枚あっても足りません。消臭スプレーや芳香剤もこの一年で何個買ったことやら。。

食事に関して言えば、
大概、夕方5時すぎるとおばぁちゃんは
「腹減った〜〜」
と言い出します。なのでそう言われたら準備をして6時頃には夜ご飯を食べるしかありません。私と旦那はもう少し遅い時間が良いのですが、そうも言ってられません。

すると6時に食べた夕食なんて、おばあちゃん覚えていませんので、8時頃になってまた
「誰も夜ごはん作ってくれる人はいない」
と文句を言い出すのが日課なのです。
でも、ご飯を作るこちらの立場としては、ごはんやおかずが毎回余っているわけではないので、残りものでなんとか定食っぽくしておばあちゃんが満足してくれるようにおばあちゃん好みのものをかき集めてまた”夜ご飯パート2”を用意するのですが、
「メグミはたいしたもんだよなぁ〜、こんなもの食べさせるんだ、あぁメグミの気持ちはばあちゃんはよーーく分かった」
と嫌みを言われます。それがなぜなのかと言うと、おそらく、夕方6時に食べた夜ご飯は、8時に出て来たご飯を見た時にうっすら記憶がよみがえり、それが「いつも同じような食べ物」とか、「これっぽっちのおかず」とか思うのでしょう。

しかも食べても忘れちゃうので、「夜ごはんはさっき食べたでしょ」と私が言ったところで、「お前にはそうやって騙されるからな!」と言われるので、腹立たしくなるよりは「そうだね」と言って黙って食事を出してあげた方が私もカッカせずに済みます。

要するに「仕方ない」のです。
ひどい話ですが、ばあちゃんを中心に世の中まわっていると思えば良いのです。
「おばあちゃんの言う事は絶対」なのです。

その繰り返しで私は家にいる時はほとんど台所に立っていて美味しいものをあれこれ考えてリクエストに答えてあげようと必死な、まるで新米の居酒屋のママ状態。

こんな事毎日しているので、たったの6日間ぐらいご褒美があってもいいですよね。

でもその6日間はあっという間に過ぎていってしまいました。。。


帰ってきた日のこと、
予想していた通り、施設の方に夕方、送迎してもらって帰宅するなり、泣き始めました。
私が
「どうして泣いてるの〜〜?」
と聞くと、おばあちゃんは
「ばあちゃんは嬉しいんだよ、家には帰ってこれたし、お前には親切にしてもらえて、ばぁちゃん幸せなんだよ〜〜〜〜。(泣)そんでばぁちゃんはす〜ぐあんな所さ一人で遊びに遊びに行っちまうんだよなぁ、とっとっとっとと。(本人、歩いて施設に行ったと思っているつもり)」
(いや、私が連れてったんだけど・・・)
 「あぁー、やっぱり家が一番いい!もうばあちゃんは、どこさも行かねぇんだ」
と言い放ちました。

いつもこんな優しいおばあちゃんなら、私も喜んで介護するよ、って感じなんだけど、
一日経った今日、また夜ご飯の時間が。
いつものように、「腹へった〜〜」と夕方5時を過ぎたところで訴えてきたので、6時に夜ご飯パート1を、今夜はおばあちゃんの大好きな揚げ物(コロッケ)、サバのみりん漬焼き、ご飯、汁物、たまり漬、かまぼこです。
おばあちゃんはご飯を残し、大好物のコロッケをぺろり。魚もぺろり。
「もう気持ち悪いからいらねぇや」
という一言で、いつものおばあちゃんのごちそうさまの合図。
私は片付け始めます。
「気持ち悪い」というのはよく分かりませんが、おばあちゃんは元々あまり素直に表現をしない人なので、「美味しかった」とかなんていうポジティブな一言はないのです。
「腹いっぱいで気持ち悪い」が最高の褒め言葉かな。

そして薬を飲ませてから、「はぁて、寝っぺ」とばあちゃんは言うので、ベッドに連れて行きます。

そして夜8時半を回ったころ、夜ご飯パート2を食べに起きてきます。
((しまった!!))
と焦る私。
ちょうど茶碗一杯分のごはんと、コロッケ2個しかもう残ってない!!!
仕方なくそれを差し出すと、予想していた通りの言葉が。
「こんなもの、よく夜ご飯に食べさせようと思うよなぁ〜〜。ごはんにコロッケ、ばぁちゃんは情けねぇわ。お前食べろ。残したら勿体なかっぺ。」

この一言、なんだか今日は余計にグサリと胸の奥底に突き刺さりました。
もうイライラを通りこして、言われるのも分かっていたのに、現実を受け止められなかったのか、あまりのショックで涙が自然とわっと出てきてしまいました。
そのまま私はお風呂の掃除をし、お湯をわかし、身も心も疲れ果て、寝室へ行きました。
(この人が本当に私のおばあちゃんなのか)
と目を疑います。

きっと私のリミットは、おばあちゃんの世話を6日間していなかった間にとても短くなっていたのでしょう。おばあちゃんが帰ってきてから、ものの二日で限界に達しました。
今回は早かったなぁ〜〜〜。
自分が弱くなってしまったように思えて今反省しているところです。

リフレッシュしすぎて介護アレルギーになってしまったのかもしれない。