要介護レベル3&認知症の祖母(83才)の介護生活日記。
加えて膠原病である多発性筋炎の病気を持つ祖母。月1で通院をしています。
スコットランド人の旦那と私(30才)と祖母の3人暮らし。
2014年に結婚式を無事に済ませ、まだまだ新婚なのですが・・・
わけあって旦那と二人三脚で祖母の介護をしています。

2013年12月25日

幻覚と戦っています&退院後

病院の事を
「ここはカスミ(家の近くのスーパー)なんだ」
と言ったり

旦那を目前に 「恵はまだ結婚しないのか」
とか

今日はお寺に遊びに行ったら 話に夢中になっちゃって
そこで寝ちゃったんだよ
それで そのままパジャマで病院に来ちまった

などと恥ずかしそうに、照れくさそうにおばあちゃんは話してくれます

その姿は
まるで子どもにかえったかのよう


おばあちゃんは病院で
抑制をされてから
パニックに陥り

私が駆けつけると
すぐさま抑制解除をしてもらいましたが

彼女はとてもショックだったのか
わんわん泣き
ぶるぶると震えていました

その後もしばらくパニック状態が続き

それからというもの
ボケはピークに

幻覚をみています

可哀想なおばあちゃん
だからこそもっともっと頑張って

おばあちゃんは
明後日の方向をみて
なむなむしたり

口の中にホコリがあって
のどにくっつかっていて取れないと
ぺっぺと ホコリを吐き出そうとしています

ちびまるこちゃんの歌を
ピーヒャラピーヒャラ
お腹が減ったよぉ
お腹がいっぱい
声がへんだよぉ
あぁぁぁ あぁぁぁ

ふと
誰かと握手をしている素振りをしています

一番面白かったのがここから

おばあちゃんの話では
私は「浅草のひでお」という人と結婚したそう
その「ひでお」との間の子を最近出産したらしくて

でも「ひでお」は浅草で所帯持ちなので
つまり私は不倫関係にあるという

だから近所の人にバレたら大変だ
ひでおの事はみんな知っているから

めぐみとばあちゃんの 二人だけの秘密にしよう
と私をかばってくれた

孫をかばってくれる祖母
どんな状況でも さすがだな

私の旦那さまは おばあちゃんの幻覚では「赤ちゃん」になってしまったらしくて
「恵、○○に クック 買ってやんなくれ だめだっぺ〜」
と私を怒り
旦那を可愛がります


今まであれ程旦那さまが いじめられていたのが
嘘のようで
涙が出そうになった


ところで「浅草のひでお」は
私との間にできた赤ちゃんを抱いて アパートへ帰ってしまったのだと
アパートは狭くて嫌だろうにな
今日は赤ちゃんをいくらで預けてもらったんだ
乳母車を買ってやるから 待ってろな
○○(旦那の名前)には靴買ってもらえな
(あれ さっきまで旦那は赤ちゃんだったけど 今度は何者になったかな)

などど想像を膨らませます

赤ちゃん役の旦那さまには
ばあちゃんと一緒の布団で寝るかな と想像をしながら
とても嬉しそうにしています

正直おばあちゃん
とっても かわいいのです

目をつぶると 何かが見えるみたいで
「ありがとうございました」とか
「そうですか」
「ばぁいばぁぁぁい」
などと独り言を言い始めます

早く幻覚なくなるといいね

おばあちゃんのもとに
サンタさんは現れたのかな

今夜はクリスマス


次回につづく





2013年12月24日

おばあちゃん入院のその後


夜中 おばあちゃんがあまりにも活発なので
私はほとんど眠れず 体力減退していきました

看護士さんも私も 手に負えず ついにおばあちゃんは
大部屋から ナースステーションのすぐ隣にある
集中治療室のような部屋へ移動させられました

その部屋ではセンサー感知式の優れた柵があります
そのため 付き添いも もうしなくて良いとの事

おばあちゃんが少しでも動いたり 柵を越えようとすると
ナースステーションとセンサーが直結し 看護士さんに知らせます


最近のおばあちゃんはというと
点滴と酸素マスクが取れたのち
元気になりすぎたのか
数分に1度はセンサーを鳴らし
看護士さんに来てもらいます

独り言や作り話もするようになりました

しばらくすると看護士さんも限界を感じたのか
真夜中に私たちに電話を鳴らし 旦那と病院へ駆けつけました

おばあちゃんは 早く家に帰りたい一心に

「先生がもう退院しても良いと言ってる」
と看護士さんに言い聞かせます

看護士さんも困っているようです

私が
「退院はまだだよ」
というと
嫌そうな表情を浮かべながら
「孫は好かねぇな」
と言います

しかしおばあちゃんの頭の中は
またすぐにリセットされるので
「先生がもう担任してもいいって 言ったんだわ」
と言い聞かせます




次回へつづく

2013年12月17日

おばあちゃんついに入院することになってしまいました

昨日 おばあちゃんを検診に連れて行きました

血中酸素濃度が低くなり 呼吸が苦しそうなので
先週通院したばかりですが 今日も病院へ

しかし そのままおばあちゃんは入院する事になりました
血中酸素濃度が85%とかなり低かった為です

入院するなりお医者さんに「付き添いが必要ですね」と言われたので
私は覚悟を決めて付き添いをする事にしました

おばあちゃんは まだらぼけがあるので
手伝いが必要なのです

おばあちゃんの 手となり 足となり
サポートするつもりです

一晩が経ち
入院後 ボケは あっという間に進行していってしまいました
本人は どこにいるのかも分からず
点滴をしている事も忘れ 動き出そうとします

でも 私が隣に寝るよと知らせると
とっても嬉しそう

おばあちゃん にっこり

でも 夜中にトイレに行く回数が13回

どうしてこんなに?

私は体力減退中です




次回へつづく

2013年12月12日

祖母の義姉の人生

先日、おばあちゃんの義理のお姉さんに当たる方が、84才で人生の幕を閉じました。
朝いつものように起きてきたところ突然倒れてしまい、病院に運ばれ心臓マッサージなど行われましたが、努力も虚しく息絶えてしまったそうです。死因は大動脈破裂だったそうです。それまではとても元気で、病気もなく普通の生活ができていたそうです。
お年寄りが突然亡くなるというのは、このような事なんだろうと痛感しました。

おばあちゃんには彼女の死をなかなか伝えられず、結局次の日の朝に叔母のせっちゃんが施設まで行き話してくれました。
おばあちゃんは話を聞くと泣き崩れてしまいしたが、やはりその事も忘れてしまうので、何度も話さなければなりません。

その度に声をあげて泣きます。

この時ばかりは私もどうしていいのかわかりません。

それで昨日は義理のお姉さんの顔を見に、おばあちゃんを施設から外出させ、おばあちゃんの生まれ故郷へと行って来ました。
義理のお姉さんの家は本家、つまりおばあちゃんにとっては実家にあたります。おばあちゃんがかつて結婚する前まで、お姉さんにはかなりお世話になっていたそうです。

結婚後も、家族の反対を押しきり裸で本家を出てしまったおばあちゃんに、帰ってくる度に優しく振る舞ってくれた義理のお姉さん。本当に素敵な方でした。

私が彼女に最後に会ったのは、去年、おばあちゃんが脚の手術を終え、お見舞いのお返しに伺った日でした。

おばあちゃんよりも3つも年上なのに、ピンピンしてるっ!
そんな印象でした。


彼女は
孫に恵まれ、素敵な家族と
至福の人生を生きて来られたのでしょう

人生は短くて儚い


一日一日を、大切に生きたい。

2013年12月2日

施設でのおばあちゃん

無事おばあちゃんを近所の介護施設へ、ショートステイに連れて行く事ができました♡

ざっと3週間ほど。
家のリフォームが完成するまでの辛抱だから、ちょっとだけ我慢して下さい。

はじめは、おばあちゃんへは
「明日から施設でお泊まり」
とは言わずに、前日から
「明日は病院の日だからね、あまり調子悪いなら、入院かもしれないね」
と言っておきました。
なにせおばあちゃん、ここ軽く1ヶ月ほど、咳が止まらないでいました。
本人も咳が出る事を気にしていました。

おばあちゃんは病院へ行く事にはあまり抵抗が無いので、次の日の朝もしっかり、病院へ行く事を覚えています。

いよいよ自宅を出発!という時には従姉妹も手伝ってくれたので、どうにかこうにかおばあちゃんを施設まで連れて行く事ができました。でも、玄関に車が到着すると、
「なんだぁ?ここは病院なのか?」
と、やっぱり気づいてしまった様子です。でも
「今日はここで診察なんだって」
と、ごまかしました。

施設内は心地よく、活気があって、とても楽しそうなところです!

おばあちゃんにはしばらく暖かいお部屋で、お風呂にも毎日浸かれる広々とした空間での生活をしばらくしてもらいます!